社会ためのデザイン
デザイナー 髙橋正実さんの信念と挑戦

2025年7月26日の自律的キャリア教育において、デザイナーの髙橋正実さんにご講演いただきました。目には視えない問題や未来に目を向け、そこに働きかける「社会の問題解決としてのデザイン」をテーマとする髙橋さん。性別や年齢、業界の慣習を越えて歩んできたその道のりを語っていただきました。
仕事とは社会をより良くするためのもの
「社会の問題解決としてのデザインをしたい」。
この言葉は、デザイナー 髙橋正実さんの原点であり、これまでの活動を貫くテーマでもあります。
1974年東京都墨田区に生まれた髙橋さんは、幼い頃から東京の歴史やものづくりに触れながら育ちました。デザイナーを志すきっかけとなったのは、母親から聞かされた後藤新平という人物の存在。関東大震災後に帝都復興計画を立案し、「東京をデザインした人」という表現で母が話す後藤の思想に触れたことは、「仕事とは社会をより良くするためのもの」という価値観の原点となりました。
やがて髙橋さんは「社会の問題解決としてのデザインをしたい」と強く思うようになり、デザイナーの道に進むことに。しかし当時、「デザイン」といえば洗練されたロゴやパッケージなど、装飾的なものを指すのが一般的。彼女の「目に視える物のみをデザイン対象とするのではなく、国や地域やものづくりの活性化などへ向けた、社会課題の解決、未来のためにデザインする」という考え方は、時代的にはまだ早く、「そんなことまでデザインが行うの?」「なんだか胡散臭い」「怪しい」と受け止められることも少なくありませんでした。

そうしたなかで手がけたのが、視覚に障害を持つ人と健常者がともに使用できる「カレンダーキューブ」。これは単なるカレンダーではなく、「視覚に頼らず触れてわかる」というユニバーサルデザインの思想を、まだその言葉すら日本では知られていなかった時代(1998年)に具現化したプロダクトでした。目の不自由な人が触ってわかるよう設計されたサイズ感、組み立て時に「パチン」という音で正しくはめ込まれたことがわかる仕組み、触感だけで上下の向きが識別できる構造など、細部に至るまで工夫が施されています。さらに、光の反射を抑える白色や、視認性の高い書体を考案し制作するなど、科学的な視点から「誰にとっても使いやすい」を追求したデザインがなされていました。
このカレンダーキューブは高く評価され、社会科をきっかけに、国語・算数・数学・道徳などの小学校の教科書にも掲載されるようになりました。見た目の美しさにとどまらず、使う人の身体感覚に寄り添い、誰もが自然に使えることを目指したデザイン。まさに、髙橋さんが掲げる「社会の問題を解決するためのデザイン」を体現した、事務所開業初期の代表的な取り組みとなりました。
困難を乗り越えて、その先に見えたもの
さまざまな作品やプロジェクトが評価されるようになっても、「デザインで社会をよくしたい」という髙橋さんの姿勢が社会的に真正面から受け止められる時代が来るまでには、なお時間が必要でした。「若い女性」というだけで、レッテルを貼られることも多く、真剣に提案をしても、「若い女の子が言っていることだから」と軽く受け流されてしまう。
「性別は変えられないけれど、年齢がもっと上だったら、違うのかもしれない」。そんな想いから、「早く40代になりたい」と考えることもあったといいます。

2007年には成田国際空港第1旅客ターミナルビル中央ビルの空間デザインを手掛けました。当時、世界の空港では国のカラーを出さないことが当たり前。しかし、このときの提案は、日本の文化や技術を世界へ発信するという社会的にも意義のあるものでした。空港の立ち入りが制限されているエリアでは、さまざまな厳しい条件や制約があり、クライアントからも「人生で最も大変な仕事になるだろう」と言われて挑むことに。しかも、当時、妊娠中だったことに加え、深夜の工事現場での作業や、男性ばかりの職場環境など、状況は決して容易なものではありませんでした。講演では、当時のことを思い出し、言葉につまる場面もありましたが、それでも「いざとなれば現場で自分の手で出産する覚悟で臨んだ」と語ります。
また、当初依頼されていた自身の絵をそのまま使用するのではなく、日本のためにと北斎の絵に変更することを提案するなど、その姿勢に対してクライアントや現場から高い評価が集まり、「ここまでやってくれるデザイナーは見たことがない」と厚い信頼を得ました。こうした強い想いを持って、自身でなく社会のためにと真剣に取り組む姿勢こそ、髙橋さんが人生を通じて大切にしていることだといいます。
さまざまな困難を越えて歩んできた髙橋さんですが、近年「時代は確かに変わってきた」と実感しています。従来に比べて、社会のためにとデザインという思考方法を捉えるデザイナーが多くなり、そして、より自由に女性が語れる空気が生まれつつあり、今、年齢を重ねることが楽しみだと語ります。
「私はこれまで、『社会課題の解決を含む未来へのデザイン』
その言葉には、過去の葛藤を乗り越えた人にしか持ち得ない、未来へのおだやかな期待が込められていました。
髙橋正実
MASAMI DESIGN代表取締役、クリエイティブディレクター、デザイナー、コンセプター。墨田区出身。ブランディング、グランドデザイン、未来構想、CI、グラフィック、プロダクト、パッケージ、建築空間、素材・技術開発、パーパス設計など、コンセプトから具体的な内容迄トータルで携わる。国立大学法人豊橋技術科学大学 客員教授、情報経営イノベーション専門職大学 客員教授、公益財団法人墨田区文化振興財団(すみだトリフォニーホール・すみだ北斎美術館 館指定管理者) 理事。著書に、工場・ものづくりブームを生んだ『工場へ行こう!!』(美術出版社)。
本レポートは、自律的キャリア教育として、社会で活躍する女性にご講演いただき、学生が聴講、インタビューしてレポートを作成しています。
指導教員:石橋勝利 株式会社アクシス デザインデベロップメント ディレクター