与えられた器に向き合いつづける
浅妻美知留さんが語る“私なり”の生き方

2025年8月9日の自律的キャリア教育の授業で、⼥⼦美術⼤学 教学事務部 元教学事務部⻑の浅妻美知留さんにご講演いただきました。学生寮の寮監から教務・広報・学生支援・入試など、幅広い業務を経験し、激しい環境の変化に柔軟に対応してきた人生の軌跡を語っていただきました。
器が人をつくる
「『器が人をつくる』という言葉があります。人は自分の意志で道を選んでいるようでいて、実は与えられた環境、つまり『器』に影響を受けてかたちづくられていく」。
強い意志を待って進んでいく人もいれば、自分のように置かれた環境に流されてきた人もいる。「器が人をつくる」と語る浅妻美知留さんは、生まれ育った家庭や環境、周りの人々が今までの自分をつくってきたのだといいます。
愛知県の岡崎市で育った浅妻さんは、両親がアナウンサーだったことから、幼少期から多くの情報に触れる環境で育ちました。テレビ番組を見ながら「どう思う?」と聞かれたり、意見を求められることも多々あり、「小さな子どもに大人と同じように意見を聞くのは普通じゃない」と笑いますが、そのような体験が「物事を公平、公正に受け止める性格を自然に育てた」と言います。
“女性だから”という価値観
女子美術大学の日本画専攻で学んだ浅妻さんですが、就職活動期はちょうど男女雇用機会均等法が制定された時代でした。女性が働くことに対しての肯定感や不信感は薄れてきていたものの、面接官は均等法施行以前から働いてきた男性たちが中心。依然として男女間で大きな差を感じたといいます。「でもなかなか決まらなくて、地元に戻ってアルバイト生活を送ろうかなとぼんやり考えていました」と当時を振り返ります。そんな折、女子美術大学の和田寮での寮監の募集を見つけ、応募したところ見事採用。ここから40年にわたる浅妻さんの社会人としてのキャリアがスタートしました。
寮監の業務は今では考えられないほどアナログで経費もかけられませんでした。掲示物はカレンダーの裏紙を使って、フリーハンドで描いて貼り出していたほどです。このころから与えられた環境に向き合い、工夫するという、浅妻さんの生き方があらわれていたのかもしれません。
その後、和田寮の閉寮にともない、女子美術大学の教務課を皮切りに、さまざまな業務に携わることになりますが、男女の格差を感じることも少なくありませんでした。ワープロを使いこなせない男性職員の代わりに、女性が手書きのメモを渡されてひたすら文字を打ち込んだり、「女性はパソコンが苦手」とレッテルを貼られたり……。
「私は、性別によって得意・不得意が分かれるわけではないと思ってはいましたが、声を大にして“女性”を訴えるのも違う気がして。でも“女性だから〇〇”という価値観を持つ人が男女共にいることは知っていました。育った環境や時代が違えば、考え方も異なるのだなと感じました」。

日々の積み重ねが強さになる
教務課につづいて、広報課では学生の作品を携え、大学の魅力を発信するために各地を訪問したり、学生支援課では奨学金の責任者をやったり……、多様な環境で新たな任務に適応してきた40年間。その長いキャリアの中で、浅妻さんが何より大事にしたのは「発見や学びを楽しむこと」です。
「いろんな仕事をやって、その度に学びました。私の学びによって、誰かに『おかげさまで助かった』と言ってもらうと嬉しくて、もう一度言われたいという誘惑に駆られて、さらに勉強しました。そういう小さなことの積み重ねが楽しかった」。
未知の業務に挑むなかで生まれる新しい知識や視点。その学びが人の役に立ったときに返ってくる「ありがとう」の言葉。それが次の挑戦への原動力となり、日々の努力を支える大きな力になっていきました。
「日々の積み重ねが最終的な強さになるのだと、この歳になって思います。頑張るタイプでなくても、自分のペースで人生は何とかなる」。
その言葉には、「器」に向き合いつづけてきた浅妻さんの、等身大の人生観がにじんでいました。
浅妻美知留
1985年に女子美術大学芸術学部絵画科日本画専攻を卒業。職員として母校に入職後、約20年間は仕事の傍らほぼ毎年個展・グループ展等を開催するが、やがて大学職員に軸足を移し、最終的には数少ない女性管理職として2025年に定年退職を迎える。
本レポートは、自律的キャリア教育として、社会で活躍する女性にご講演いただき、学生が聴講、インタビューしてレポートを作成しています。
指導教員:石橋勝利 株式会社アクシス デザインデベロップメント ディレクター