レポート Report

人間の実存を描きたい

矢島 光さんが漫画をとおして伝えたいこと

8月24日、自律的キャリア教育の授業で、漫画家の矢島 光さんにご講演いただきました。スライドではなくワードを使っての講演というユニークな形式で、自身の漫画に対する思い、どのようにして漫画家としての道を歩んできたのか、その葛藤と成長の過程を赤裸々に語っていただきました。

自分を支えつづけてくれる言葉

幼い頃から漫画が好きで、小学生のときには漫画家の種村有菜先生に憧れ、「りぼん」の作品をひたすら模写していた矢島さん。しかし、中高時代はバトントワリング部に熱中し、漫画家になりたいという夢さえ忘れてしまうほどの時間を過ごしました。

大学進学を前にして、漫画家になりたいという思いが再び湧き上がり、「美術大学に行きたい」と美術の先生に相談。すると先生は「隙のない完璧な絵が素晴らしいとは限らない。隙がないからこそ疲れてしまう漫画もあると話しました。矢島さんはこの言葉を聞き美術大学とは別の道を模索します。また、高校卒業にあたって「私は苦労しながら描く漫画家ではなく、収入の安定する環境をゲットして、悠々自適に描く漫画家になる」と先生に宣言。すると先生はこう言います。「はたしてそのメンタリティでいい漫画が描けるかな」。

この2つの言葉は、今でも頭から離れることなく、時に己の価値観を点検する指針に、時に自分を支えてくれる糧にしている、と矢島さんは語ります。

本当のことは穏やかに訪れる

大学進学後、漫画を描くことに再び情熱を注ぐようになり、新人賞を受賞しますが、「お金は大事だから一度就職したほうが良い」という助言を受けて、大手IT企業に入社。

世の中は「24時間働けますか」の時代。飲み会は週に7日。夜遅くまで働き、漫画も描くという忙しない生活を送っていました。そんな中でも会社の仲間とハロウィンパーティーなどをして楽しい時間を過ごします。「キラキラ経歴キメラだよね」と友人からコメントをもらった矢島さん。しかし、この楽しい生活の裏側には本当の気持ちが隠れていました。やりがいのある仕事と楽しい環境に囲まれているはずなのに自分の中ではずっとモヤモヤしていて、本当の自分を生きていない。一方で隣には素で楽しんでいる同僚や友人たちがいる。その場にフィットしようとするけれど、偽りの仮面を被らないと入り込めない。この場にいるにはキラキラした自分を演じるしかない、そんな気持ちが込み上げてきます。

「ここにいたら私は幸せになれない」。あるとき静かに感じ、入社3年目で退職することに。良い職場環境であることがわかっているからこそ、中途半端に身を置いている自分に罪悪感がありました。そのときのことを「本当のことはすごく穏やかに訪れる」と少し口調を強くして矢島さんは語りました。偽りの仮面を被って過ごすことの根本にあったのは漫画。本当はキラキラした自分などではなく、「漫画を描くだけの人生」が欲しかったのです。

人間の愛情や優しさに目を向ける

会社を辞めてから、最初に出版社に持ち込んだのはギャグ漫画でした。しかし、「あなたにはオチがつけられない」と編集者の厳しい言葉。その後、「人の実存に向き合う漫画を描くべき」との助言を受け、人間の本質や深層心理に迫る作品づくりにシフトします。こうして自分の内面と向き合いながら、作品を通して人間の複雑な感情や存在そのものを描くことに挑戦するようになりました。

その一方で、精神的にも限界に達し、うつ病を発症します。漫画家として生きていく覚悟が足りなかったのではないか。闘病生活の中、自分自身や作品のあり方を見つめ直す時間を過ごしました。この期間は、矢島さんにとっての再生の時間となり、人間の奥深い愛情や優しさに目を向け、真実を描くことの大切さに気づくことになります。

自己との対話と成長

矢島さんは漫画を描くうえで「人間の実存に根差した愛や感謝を表現したい」「嘘や裏切りに人は食いつくが、愛や感謝こそが本当のテーマ」と語り、表面的な背徳感や刺激ではなく、より深い感情や人間関係を描くことの意義を強調します。例えば、不倫を題材にするのであれば、どうして不倫するのか? その裏にどんな傷があるのかが気になってしまう。その行為の背後にある人々の感情に焦点を当て、読者に共感と救いを与えたいと考えています。

今でも矢島さんは人間関係に悩むことが多いと告白します。自分が愛情表現だと思い込んでいたものが、実は承認欲求になっていないか、自分の気持ちは相手の助けになっているか相手が自分の気持ちを正しく受け取ってくれているかを常に考えているのです。しかし、その葛藤こそが、作品に深みを与え、人々の心に響く理由でもある。矢島さんの講演は、単なる成功物語ではなく、人生の中での苦悩や葛藤を乗り越えた先にある「本当の自分」との向き合い方を教えてくれるものでした。

 

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矢島 光

東京都出身。慶應義塾大学在学中に、2011年モーニングMANGA OPEN(講談社)にて漫画家デビューする。大学卒業後は、某大手IT企業に就職。フロントエンジニアを経て、2015年春より専業漫画家に。

本レポートは、自律的キャリア教育として、社会で活躍する女性にご講演いただき、学生が聴講、インタビューしてレポートを作成しています。
指導教員:石橋勝利 株式会社アクシス デザインデベロップメント ディレクター