私は自由だ
平賀明子さんの行動と探求
7月27日(土)の自律的キャリア教育の授業において、コニカミノルタの元執行役員でデザインセンター長を務めておられた平賀明子さんに講演いただきました。現在はフリーランスとして企業のデザイン経営のコンサルティングや講演、デザイン思考に基づく独自の課題発見のフレームワーク教育などを中心に活動されています。平賀さんがデザインのあり方を考えるきっかけになった若手社員時代の経験をはじめ、貴重なお話を伺いすることができました。
時代に抑えられたデザインの力
皆さんは、大手企業の考え方や方針を自分の力で変えようと思えるでしょうか。望むだけでは変わってくれない組織を動かしたいとき、私たちにはどんな行動ができ、どれほどの可能性を生み出すことができるのか。
1990年代、平賀明子さんはさまざまな製品の開発・製造を手掛けるコニカ(当時)で主に精密機器のデザインを担当していました。平賀さんが社会人になったころは、世界時価総額ランキング上位を日本企業が独占しているような経済発展の時代。当時の日本産業は技術革新による「軽薄短小」の時代で、企業は「軽く、薄く、短く、小さい」製品の開発競争を進めており、当時のコニカもその競争の中にいました。ただ、市場では同じような個性のない製品ばかりが並び、価格競争だけに陥っていくこととなり、デザインの本質と価値が見失われつつありました。「利益が出ることが正当である」と、企業はみな同じような製品をつくりつづける。平賀さんは、これを「非合理なレジティマシー(正当性)」、つまり組織的な思考停止状態だと考え、会社の考え方を変えることができないかと動きはじめることになります。
しかし、当然ながらひとりの若手社員が大企業を動かすのは簡単なことではありません。ある製品の企画会議の場で、平賀さんが「製品に関する機能品質評価だけでなく、ブランド指標に基づく製品評価も考えるべきでは?」と発言したところ、その会議の決裁者である事業トップはこちらを見もせず、会議資料に記載の採算数字を見て電卓をたたきながら、頭の悪い発言はするなというような侮辱した言葉を一言。この態度に衝撃を受けた平賀さんは、頭が真っ白になりながらも、会議は何事もなかったかのように進み、「身体中から涙が出るような感覚だった」と語ります。
自分を発揮する自由な精神
この出来事から、大組織で意見を通すことの難しさを痛感。会社を辞めるか、残って周囲に同調するか、自分の進むべき道について悩んだ末に、「会社に残って、外を知りつつ考える。自分が変わりながら、会社も変える」と心に決めました。
まずは、「あるべきデザインの姿」を論考文的にまとめることで、自分の考えを整理し、次に取るべき行動を導き出していきました。それは「自分自身で社会を見て、考え、あるべきもの・つくるべきものを提案していく」「企業経営者のデザインへの認識を変える」、このふたつ。特に後者では、経営層に対してさまざまなデザイン情報を送りつづけ、ワークショップなども実施。経営層をいかに巻き込むか考えながら、会社全体のデザインへの意識を変えていったのです。
そんな平賀さんが好む言葉があります。「私は自由だ」。この言葉には、創造性と考える力は自由な精神からのみ発揮できるという想いが込められています。自分を動かすものは何か、何を求めているのか、何が得意なのか、何に夢中になれるのか。これらを常に考えながら、自分の芯を大切にすること。困難な状況に直面したときには、悲観的になるのではなく、全体を見渡す楽観主義の視点を持ち、人々の意見を積極的に取り入れ、自分の殻を破って視野を広げていってとほしいと語ってくださいました。
平賀さんの自書「私は自由だ」。
平賀明子
1984年コニカミノルタ株式会社(旧コニカ株式会社)にプロダクトデザイナーとして入社。コンパクトカメラ、複合機、印刷機器、医療機器、眼鏡等の製品デザイン開発から、要素技術を人・社会に実装し新たな事業の種を提案するインキュベーションデザイン研究に従事。デザインセンター長を経てコニカミノルタ㈱執行役員(デザイン担当役員)就任。デザイン部門を商品デザイン開発主体から経営企画部と連携した企業ビジョン策定や、独自のデザイン思考の型を形成し人・社会中心の価値創造手法を全社に浸透させ社内変革を促す活動まで組織運営を拡大。デザイン部門とグローバルブランド&マーケティング部門を統合した後、役員退任及びコニカミノルタ㈱退社。2023年~フリーランスとなり企業のデザイン経営導入支援や講演等活動中。
本レポートは、自律的キャリア教育として、社会で活躍する女性にご講演いただき、学生が聴講、インタビューしてレポートを作成しています。
指導教員:石橋勝利 株式会社アクシス デザインデベロップメント ディレクター